白装束の人物は先ほどの藁人形の前に立つと、懐から榊のようなものを取り出して振り、何やら呪言をつぶやいてから、名状しがたいバールのようなもので樹の幹から五寸釘を抜き取り、取り外した藁人形とお札を巾着袋へとしまう。 どうやら僕らの警戒は無駄だったようだ。 せっかくだから話を聞きたいと思った僕は繁みから出て、白装束のひとに歩み寄りながら声を掛けた。「あの、すいません。ここで、何をなさっているんですか?」 自分で言いながら思った。その言葉をかけるのは僕たちではなくて、相手のほうではないのかと。「これ、君たちがやったの?」 白装束の男、おそらく神社の神主であろう人物は僕たちにそう言った。眼鏡をかけた、初老でいかにも人のよさそうな人相だ。髪の毛は半分くらいが白く染まっている。「いいかい、人をの呪わば穴二つと言ってね、呪いを掛ければ自分自身に帰ってくるということを忘れていけないよ」「ああ、すいません。それは……僕たちがやったわけではありません」「あ、ああ……そうか、すまなかったね。つい」「いえいえ。でも、そこに名前を書かれている人物に思い当たることがあって気になっていたんです」「そういうことか。まあ、これは見ての通りのものだよ。この山はこういうのが有名になっているようでね。わたしは毎日こうして山に入っては藁人形をはずして、その呪いが起きないようにと祈祷をしているんだよ」「あの、神社の神主さんなんですよね」「そうだよ」「あの、こんなことを言ってはなんなのですが、複雑じゃないですか? せっかくの神社の山が呪のスポットになっているっていうのは」「ははは。確かに少し複雑ではあるかもしれないね。でも、神社の裏だからこそこうして回収しやすいというのもあるしね。まあ、呪いなんて言うのも神様に頼むのだから神社にゆかりのある場所でなければ意味もないのだろう。それに、この山にはかつて生野之城というのがあってね。鎌倉時代にそのお城が落城した際、祠に身を隠していた依玉姫とその飼い猫がいたんだが、敵兵に見つかった猫が殺されてしまい、それを苦に姫は自害した。そしてそれを悲しんだ父、城主、斎藤尾張守影宗は姫と猫の祠を立て、呪いの儀式を行った。すると敵兵たちは次々の発狂して死んでしまったという伝説がある。それ以来、ここは呪いが成就する山田と言われているんだ」「いっそのこと、入山できなくするというのはどうなん
「まさか、そんなの偶然だよ」『そんなこと言って、本当は怖がってるんでしょ? 呪いが本当だったということは、高野君がかけられた呪も本当かもしれないって』「思ってないよ」『無理しなくてもいいですよ。それよりですね、あの、呪いを仕掛けた本人を探しませんか? どう考えてもアレ、うちの学校の生徒ですよ』「やめておくよ。深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているってね、変にかかわるとこっちに飛び火することだって考えられる」『ああ、でもですね――』 強引に通話ボタンを押して会話を終了させる。 さすがにこれ以上振り回されるのごめんだ。 荷物をまとめ、今日のところはまっすぐに家に帰ろうと思う。流石に旧校舎の部室に行けば上田と遭遇するだろうし、そうなればやはり振り回される羽目になるだろう。 今日のところはひとまず……と、教室を出ようとしたところで呼び止められる。「マーコトッ」 振り返るとそこにエンジェルがいた。どうやら僕のことを待ち伏せしてくれていたらしい。「ねえ、今から部活?」「いや、もう今日は帰ろうかと」「よかった! それじゃあ、ちょっと付き合ってよ!」「あ、ああ。もちろん」 二人並んで下駄箱に行き、靴を履き替える。 さて、今日はどこに行くのだろうか? きっとまたどこか甘いものでも食べに行くのだろう。もちろん僕は甘いものはそれほど好きではないが、ななせと一緒だというならそれもやぶさかではない。 彼女の半歩前を歩いて校門を出ようとしたところで後ろにいたななせが「こっち」と校庭のほうを指さす。 ボールが飛び出さないように周囲をグリーンのネットで囲った校庭ではサッカー部の皆さんが休むことなく青春の汗をかいている。いやな予感しかない。「ねえ、聞いた? シンドウ君の話。あの、呪いの藁人形の通りシンドウ君はけがをした。これって見過ごしわけにはいかないよね?」「呪いをかけた犯人を見つけ出したいと?」「それはそうでしょ? うちの学校の期待の星だよ」「見つけてどうするつもりだよ? 呪いをかけたからと言って、たぶんこの国の法律では裁くことはできないよ。それに、進藤隼人の怪我とあの呪の藁人形の因果関係だって証明するのは無理だ。犯人を見つけたところでどうしようもない」「確かにそうかもしれないけど……でもさ、もし、犯人が今回のことで味を占めて、次から次へと呪をかけ始めたらどうするの? この学校、呪いだら
サッカー部が必死で練習をしているグラウンドの隅。ななせは躊躇することなく侵入していく。地方予選を勝ち抜き、全国大会の日も近い。そのタイミングでキャプテンの進藤隼人が怪我をしたことで部全体が殺気立っていることは明白で、そんなところに躊躇なく入って行けるななせのメンタルはすさまじい。 ななせはグラウンドの隅で、選手の様子を見ながら記録をつけている女子マネージャーのもとへと進む。実際に運動するわけではないが、ちゃんと学校既定の体操着を身に着け、長い黒髪をポニーテールに結わえているその人は、遠目に見ただけで美人であることがわかる。女子にしては背が高く凛々しささえ感じる。 ななせは一度立ち止まり、振り返ると僕にポケットから取り出した新品の手帳と三色ボールペンを差し出した。「ところでマコトン君」「まことんくん? それはもしかしてあれか? 僕のことを頼りのない助手として使おうって意味なのか?」「君の役割は記録係だ。アタシが聞き取りをした事実を君はそれで記録したまえ」「なんか、楽しそうだなって、このボールペン、昨日拾ったやつじゃないか」「つべこべ言わない!」 ――へいへい。黙って記録係に徹することにしよう。「あの、サッカー部のマネージャーのハナミヤさん、ですよね?」「え、ええ……そうですけど……」 ななせが彼女の名前をはじめから知っていたとは限らない。体操着の胸にはちゃんと『花宮』と書かれている。彼女の名前がよほど変わった読み方をするのか、あるいは事情があって誰かの体操着を借りているというわけでもない限り、彼女の名前はハナミヤだ。 いやしかし、クイーン風の可能性をいちいち考えていくというのは少々面倒くさいのでこんな物言いはやめることにしよう。「花宮さん、ちょっと聞きたいことがあるですが、今、少し大丈夫ですか?」「え、ええ。なにかしら」「キャプテンのシンドウ先輩のことです」「もしかして、進藤に何かされた? それとも彼に興味があるとか? もしそうならやめておいたほうがいいわよ。何かされる前に」「興味があるなら、何かされてもいいんじゃないですか? むしろ、興味のある人になにもされないことのほうが悲しいですよ」「何か、されたいの?」「あ、シンドウ先輩の話じゃないですよ。アタシ、ああいうのは苦手なタイプなので」「そう、じゃあ、何が聞きたかったのかしら? やっぱり、怪我のこと?」「はい。
――人を呪わば穴二つ 他人を呪えばその呪いは自分に帰ってくる。 その昔陰陽師は相手を呪う際、呪い返しに逢うことを想定し、相手と自分の入る墓の穴、二つを用意していたという。 つまり、生半可な気持ちで相手を呪うようなことをしてはならないという戒めだ。 返して言えば、その覚悟のある人間にしてみれば、単なる等価交換に過ぎないともいえるだろう。
照りつける夏の日差しから目を伏せたまま階段を昇っていく。 その先にある旧校舎は、より太陽に近い場所だが、そこにはちゃんと日影があり、風もそよぐのでいくぶん涼しい。 すれ違うサッカー部の部員たちは楽しそうに笑いながら階段をかけるように下りながら、夏の日差しがギンギンに照りつける校庭へと向かっていく。 まったくもって僕とは真逆の人たち。頭が悪く、単純で、健康的で、社交的で、女子にモテる人たち。 うらやましくはないはずだ。彼らをねたんだところで、僕には何の見返りもない。むしろ自分の器の小ささをかみしめることで余計にみじめになるだけだ。せめて僕は僕なりの楽しみを見つけよう。 山の斜面の沿って並ぶ僕の通う高校の校舎は、斜面の一番下に校庭、その手前には新校舎があり、山の奥へと昇っていくにつれて校舎の築年数が増えていく。 そして、一番奥にあるのが僕の所属する文芸部のある旧校舎というわけだ。ほとんど山奥の木造建築で、その裏はすぐに手の入っていない山だから、日陰になっていて風通しもよく、エアコンは付いていないがそれなりに涼しい。 旧校舎は現在ほとんど使われていない。廃部寸前の部活が寄せ集められた部活棟になっている。二階には軽音楽部の部室と、黒魔術研究部。一階には競技かるた部と文芸部。競技かるた部は現在ほとんど活動をしていないので、実質一階は文芸部だけのものである。 文芸部員は僕一人、つまりは僕が独占しているというわけだ。 旧校舎の部室に鍵はかかっていないが、盗られて困るようなものもたいしてないから問題ない。 文芸部の部室の戸を開けて中に入ると、「遅かったじゃない」という言葉で僕を出迎えてくれる美少女がいた。 伏見ななせは二階の軽音楽部の部員だ。文芸部の部室においてある湯沸かしポットが目当てでいつもふらりと立ち寄っては勝手に僕の用意しているインスタントのコーヒーを淹れて飲む。「こんなに暑い中、よくホットのコーヒーなんか飲むよな」 僕は鞄から取り出したペットボトルのアイスコーヒーのキャップをひねり、一口喉に流し込む。生ぬるくてとてもうまいとは言い難い。「アタシさ、冷え性だから。真夏でほとんどエアコンなんて使わないもん」 言いながら、両手で抱えるように持つマグカップに注がれたホットのコーヒーをふうふうしながら口をつける。「そりゃあ、ななせと結婚する奴は気の
岡山駅の前の桃太郎像の前で待ち合わせだ。この場所のすぐ目の前がバス乗り場のロータリーになっている。ここからバスに乗って新見市まで行き、そこからレンタルサイクルで目的地の神社まで行く予定だ。 上田はまだ来ていない。 バスの時間まであまり余裕はなく、そろそろ来てもらわないとヤバいかなと思い始めていた。なにせ田舎のバスだ。一本乗り過ごしただけですぐに次が来るわけではなく、大幅な時間ロスになってしまう。 そのときちょうどスマホに着信がある。『もしもし、わたし、麻里です。今、高野君の後ろ』「あのなあ。後ろにいるんならいちいち電話かけてこなくてもそのまま声を掛けろよな」 振り返った僕は桃太郎像の裏側に隠れてこちらをのぞき込む上田のところへ歩みよる。「それにしてもさ上田。どういうつもりでそんな恰好なんだよ」「どういうつもりって、まあ、デートですから」 駅前の桃太郎像の前で待ち合わせした上田は、黒いレースのワンピースに白いタイツ。そして右目にはいつもの黒い眼帯。いわゆる地雷系というやつだ。「言っておくが今日はデートじゃないし、僕たちは神社の裏山に入るんだ」「山をなめてるわけじゃないですよ。ほら、これ見てください」 上田の指さす足元は黒と白との二色で構成されるトレッキングシューズだ。「確かにそこは間違っちゃいないけれど、ほかにいろいろ間違いがあるだろう」「あ、この白いタイツなんですけど、ちゃんと虫よけ効果もあるんですよ。入山前にはさらに防虫スプレーも吹きますし」「いや、そうはいってもなあ……まあ、地雷系ファッションというのも、趣味は人それぞれだから文句は言うまい。夏にも関わらずロングスリーブだということもまあいい。だが、呪いだとかそんな山に入ってその恰好じゃあ、なんというかまあ、いろいろヤバすぎるだろ。もはや呪いの申し子だ」「でもですね、だからと言って真っ白の服を着て呪いの藁人形を持っているほうがヤバくないですか? 本格的すぎます」「黒と白以外の服は持ってないのかよ」「持ってないですよ。必要ありませんから。それに知ってる誰かに逢うわけでもありませんからね、高野君にどうみられるかだけが問題なんです。ねえ、わたし、かわいいでしょ?」「お、バス来たぞ」「あ、待て、こら、逃げる気ですか!」 新見市は岡山県の中部にある。県内でも瀬戸内海に接する南部に
サッカー部が必死で練習をしているグラウンドの隅。ななせは躊躇することなく侵入していく。地方予選を勝ち抜き、全国大会の日も近い。そのタイミングでキャプテンの進藤隼人が怪我をしたことで部全体が殺気立っていることは明白で、そんなところに躊躇なく入って行けるななせのメンタルはすさまじい。 ななせはグラウンドの隅で、選手の様子を見ながら記録をつけている女子マネージャーのもとへと進む。実際に運動するわけではないが、ちゃんと学校既定の体操着を身に着け、長い黒髪をポニーテールに結わえているその人は、遠目に見ただけで美人であることがわかる。女子にしては背が高く凛々しささえ感じる。 ななせは一度立ち止まり、振り返ると僕にポケットから取り出した新品の手帳と三色ボールペンを差し出した。「ところでマコトン君」「まことんくん? それはもしかしてあれか? 僕のことを頼りのない助手として使おうって意味なのか?」「君の役割は記録係だ。アタシが聞き取りをした事実を君はそれで記録したまえ」「なんか、楽しそうだなって、このボールペン、昨日拾ったやつじゃないか」「つべこべ言わない!」 ――へいへい。黙って記録係に徹することにしよう。「あの、サッカー部のマネージャーのハナミヤさん、ですよね?」「え、ええ……そうですけど……」 ななせが彼女の名前をはじめから知っていたとは限らない。体操着の胸にはちゃんと『花宮』と書かれている。彼女の名前がよほど変わった読み方をするのか、あるいは事情があって誰かの体操着を借りているというわけでもない限り、彼女の名前はハナミヤだ。 いやしかし、クイーン風の可能性をいちいち考えていくというのは少々面倒くさいのでこんな物言いはやめることにしよう。「花宮さん、ちょっと聞きたいことがあるですが、今、少し大丈夫ですか?」「え、ええ。なにかしら」「キャプテンのシンドウ先輩のことです」「もしかして、進藤に何かされた? それとも彼に興味があるとか? もしそうならやめておいたほうがいいわよ。何かされる前に」「興味があるなら、何かされてもいいんじゃないですか? むしろ、興味のある人になにもされないことのほうが悲しいですよ」「何か、されたいの?」「あ、シンドウ先輩の話じゃないですよ。アタシ、ああいうのは苦手なタイプなので」「そう、じゃあ、何が聞きたかったのかしら? やっぱり、怪我のこと?」「はい。
「まさか、そんなの偶然だよ」『そんなこと言って、本当は怖がってるんでしょ? 呪いが本当だったということは、高野君がかけられた呪も本当かもしれないって』「思ってないよ」『無理しなくてもいいですよ。それよりですね、あの、呪いを仕掛けた本人を探しませんか? どう考えてもアレ、うちの学校の生徒ですよ』「やめておくよ。深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているってね、変にかかわるとこっちに飛び火することだって考えられる」『ああ、でもですね――』 強引に通話ボタンを押して会話を終了させる。 さすがにこれ以上振り回されるのごめんだ。 荷物をまとめ、今日のところはまっすぐに家に帰ろうと思う。流石に旧校舎の部室に行けば上田と遭遇するだろうし、そうなればやはり振り回される羽目になるだろう。 今日のところはひとまず……と、教室を出ようとしたところで呼び止められる。「マーコトッ」 振り返るとそこにエンジェルがいた。どうやら僕のことを待ち伏せしてくれていたらしい。「ねえ、今から部活?」「いや、もう今日は帰ろうかと」「よかった! それじゃあ、ちょっと付き合ってよ!」「あ、ああ。もちろん」 二人並んで下駄箱に行き、靴を履き替える。 さて、今日はどこに行くのだろうか? きっとまたどこか甘いものでも食べに行くのだろう。もちろん僕は甘いものはそれほど好きではないが、ななせと一緒だというならそれもやぶさかではない。 彼女の半歩前を歩いて校門を出ようとしたところで後ろにいたななせが「こっち」と校庭のほうを指さす。 ボールが飛び出さないように周囲をグリーンのネットで囲った校庭ではサッカー部の皆さんが休むことなく青春の汗をかいている。いやな予感しかない。「ねえ、聞いた? シンドウ君の話。あの、呪いの藁人形の通りシンドウ君はけがをした。これって見過ごしわけにはいかないよね?」「呪いをかけた犯人を見つけ出したいと?」「それはそうでしょ? うちの学校の期待の星だよ」「見つけてどうするつもりだよ? 呪いをかけたからと言って、たぶんこの国の法律では裁くことはできないよ。それに、進藤隼人の怪我とあの呪の藁人形の因果関係だって証明するのは無理だ。犯人を見つけたところでどうしようもない」「確かにそうかもしれないけど……でもさ、もし、犯人が今回のことで味を占めて、次から次へと呪をかけ始めたらどうするの? この学校、呪いだら
白装束の人物は先ほどの藁人形の前に立つと、懐から榊のようなものを取り出して振り、何やら呪言をつぶやいてから、名状しがたいバールのようなもので樹の幹から五寸釘を抜き取り、取り外した藁人形とお札を巾着袋へとしまう。 どうやら僕らの警戒は無駄だったようだ。 せっかくだから話を聞きたいと思った僕は繁みから出て、白装束のひとに歩み寄りながら声を掛けた。「あの、すいません。ここで、何をなさっているんですか?」 自分で言いながら思った。その言葉をかけるのは僕たちではなくて、相手のほうではないのかと。「これ、君たちがやったの?」 白装束の男、おそらく神社の神主であろう人物は僕たちにそう言った。眼鏡をかけた、初老でいかにも人のよさそうな人相だ。髪の毛は半分くらいが白く染まっている。「いいかい、人をの呪わば穴二つと言ってね、呪いを掛ければ自分自身に帰ってくるということを忘れていけないよ」「ああ、すいません。それは……僕たちがやったわけではありません」「あ、ああ……そうか、すまなかったね。つい」「いえいえ。でも、そこに名前を書かれている人物に思い当たることがあって気になっていたんです」「そういうことか。まあ、これは見ての通りのものだよ。この山はこういうのが有名になっているようでね。わたしは毎日こうして山に入っては藁人形をはずして、その呪いが起きないようにと祈祷をしているんだよ」「あの、神社の神主さんなんですよね」「そうだよ」「あの、こんなことを言ってはなんなのですが、複雑じゃないですか? せっかくの神社の山が呪のスポットになっているっていうのは」「ははは。確かに少し複雑ではあるかもしれないね。でも、神社の裏だからこそこうして回収しやすいというのもあるしね。まあ、呪いなんて言うのも神様に頼むのだから神社にゆかりのある場所でなければ意味もないのだろう。それに、この山にはかつて生野之城というのがあってね。鎌倉時代にそのお城が落城した際、祠に身を隠していた依玉姫とその飼い猫がいたんだが、敵兵に見つかった猫が殺されてしまい、それを苦に姫は自害した。そしてそれを悲しんだ父、城主、斎藤尾張守影宗は姫と猫の祠を立て、呪いの儀式を行った。すると敵兵たちは次々の発狂して死んでしまったという伝説がある。それ以来、ここは呪いが成就する山田と言われているんだ」「いっそのこと、入山できなくするというのはどうなん
ななせも僕たちと同じようにレンタルサイクルでここまで来ていた。そのまま三人で育霊神社に向かい、ひとまず境内に参拝して手を合わす。たいてい山の入り口というものには何らかの神社があるもので、山は神聖な場所であり、そこにはいる許可と無事を祈るためにもその存在は重要だが、今から裏山でひとを呪おうとしているものが、その前に神様に手を合わせるというのはなんと滑稽だろうか。呪いの名所と言われるその山道は、想像以上に険しい道のりだった。呪いのスポットとして有名な奥の院まではおよそ三十分。当然街灯などもあるわけでもなく、昼ならともかく深夜の丑の刻にここを登ることはよほど困難に思える。つまり、それほどに強い恨みを持ったものが意を決して登るものなのだろう。ほどなくして山道は終わり、なだらかな森林となる。よく見ればあたりの木々にはくぎを打ち付けたであろう傷跡や、幹に深くめり込んで抜くことも出来なくなった、錆びた五寸釘が見受けられる。「それじゃあ、この辺りで呪いましょうか」 と、上田がつぶやく。まるでピクニックでお弁当を食べようと言い出すような物言いだ。 リュックから藁人形を取り出した上田は打ち付けやすそうな樹を物色するようにあたりをうかがい、めぼしい樹を見つけて、「ここがいいですね」とつぶやく。時間はすでに午後の二時を大きく過ぎて三時の手前だ。一応、丑の刻と言えば丑の刻範囲ギリギリだと言えなくもない。来る途中に寄り道してしまったのがあだとなったか。まあ、丑の刻参りと言っても昼に行うくらいだ。時間などさほど重要なものではないだろう。「なあ、ところで上田。いったい誰を呪うことにしたんだ?」 右手に藁人形、左手には五寸釘を握りしめた上田が不敵な笑みを浮かべながらに振り向く。「た~か~の~く~ん。いまさら何を言ってるんですかあ? なんで高野君にここまで付き合ってもらっているのか、よく考えてみてください」「や、やっぱり、ぼ、僕、なのか?」「だってそうじゃありませんか。果たして呪いの藁人形は有効なのかどうか、検証するためにはその後、動向観察できる対象じゃなきゃ意味ないじゃないですか。それに、入れる髪の毛は新鮮なものであるほうが効果が大きいように思えるんですね」「い、いや、ちょっと待てよ」「何をいまさら。高野君、呪いなんて存在しないって啖呵切っていたじゃないですか。それなのに何をいまさら日和っている
岡山駅の前の桃太郎像の前で待ち合わせだ。この場所のすぐ目の前がバス乗り場のロータリーになっている。ここからバスに乗って新見市まで行き、そこからレンタルサイクルで目的地の神社まで行く予定だ。 上田はまだ来ていない。 バスの時間まであまり余裕はなく、そろそろ来てもらわないとヤバいかなと思い始めていた。なにせ田舎のバスだ。一本乗り過ごしただけですぐに次が来るわけではなく、大幅な時間ロスになってしまう。 そのときちょうどスマホに着信がある。『もしもし、わたし、麻里です。今、高野君の後ろ』「あのなあ。後ろにいるんならいちいち電話かけてこなくてもそのまま声を掛けろよな」 振り返った僕は桃太郎像の裏側に隠れてこちらをのぞき込む上田のところへ歩みよる。「それにしてもさ上田。どういうつもりでそんな恰好なんだよ」「どういうつもりって、まあ、デートですから」 駅前の桃太郎像の前で待ち合わせした上田は、黒いレースのワンピースに白いタイツ。そして右目にはいつもの黒い眼帯。いわゆる地雷系というやつだ。「言っておくが今日はデートじゃないし、僕たちは神社の裏山に入るんだ」「山をなめてるわけじゃないですよ。ほら、これ見てください」 上田の指さす足元は黒と白との二色で構成されるトレッキングシューズだ。「確かにそこは間違っちゃいないけれど、ほかにいろいろ間違いがあるだろう」「あ、この白いタイツなんですけど、ちゃんと虫よけ効果もあるんですよ。入山前にはさらに防虫スプレーも吹きますし」「いや、そうはいってもなあ……まあ、地雷系ファッションというのも、趣味は人それぞれだから文句は言うまい。夏にも関わらずロングスリーブだということもまあいい。だが、呪いだとかそんな山に入ってその恰好じゃあ、なんというかまあ、いろいろヤバすぎるだろ。もはや呪いの申し子だ」「でもですね、だからと言って真っ白の服を着て呪いの藁人形を持っているほうがヤバくないですか? 本格的すぎます」「黒と白以外の服は持ってないのかよ」「持ってないですよ。必要ありませんから。それに知ってる誰かに逢うわけでもありませんからね、高野君にどうみられるかだけが問題なんです。ねえ、わたし、かわいいでしょ?」「お、バス来たぞ」「あ、待て、こら、逃げる気ですか!」 新見市は岡山県の中部にある。県内でも瀬戸内海に接する南部に
照りつける夏の日差しから目を伏せたまま階段を昇っていく。 その先にある旧校舎は、より太陽に近い場所だが、そこにはちゃんと日影があり、風もそよぐのでいくぶん涼しい。 すれ違うサッカー部の部員たちは楽しそうに笑いながら階段をかけるように下りながら、夏の日差しがギンギンに照りつける校庭へと向かっていく。 まったくもって僕とは真逆の人たち。頭が悪く、単純で、健康的で、社交的で、女子にモテる人たち。 うらやましくはないはずだ。彼らをねたんだところで、僕には何の見返りもない。むしろ自分の器の小ささをかみしめることで余計にみじめになるだけだ。せめて僕は僕なりの楽しみを見つけよう。 山の斜面の沿って並ぶ僕の通う高校の校舎は、斜面の一番下に校庭、その手前には新校舎があり、山の奥へと昇っていくにつれて校舎の築年数が増えていく。 そして、一番奥にあるのが僕の所属する文芸部のある旧校舎というわけだ。ほとんど山奥の木造建築で、その裏はすぐに手の入っていない山だから、日陰になっていて風通しもよく、エアコンは付いていないがそれなりに涼しい。 旧校舎は現在ほとんど使われていない。廃部寸前の部活が寄せ集められた部活棟になっている。二階には軽音楽部の部室と、黒魔術研究部。一階には競技かるた部と文芸部。競技かるた部は現在ほとんど活動をしていないので、実質一階は文芸部だけのものである。 文芸部員は僕一人、つまりは僕が独占しているというわけだ。 旧校舎の部室に鍵はかかっていないが、盗られて困るようなものもたいしてないから問題ない。 文芸部の部室の戸を開けて中に入ると、「遅かったじゃない」という言葉で僕を出迎えてくれる美少女がいた。 伏見ななせは二階の軽音楽部の部員だ。文芸部の部室においてある湯沸かしポットが目当てでいつもふらりと立ち寄っては勝手に僕の用意しているインスタントのコーヒーを淹れて飲む。「こんなに暑い中、よくホットのコーヒーなんか飲むよな」 僕は鞄から取り出したペットボトルのアイスコーヒーのキャップをひねり、一口喉に流し込む。生ぬるくてとてもうまいとは言い難い。「アタシさ、冷え性だから。真夏でほとんどエアコンなんて使わないもん」 言いながら、両手で抱えるように持つマグカップに注がれたホットのコーヒーをふうふうしながら口をつける。「そりゃあ、ななせと結婚する奴は気の
――人を呪わば穴二つ 他人を呪えばその呪いは自分に帰ってくる。 その昔陰陽師は相手を呪う際、呪い返しに逢うことを想定し、相手と自分の入る墓の穴、二つを用意していたという。 つまり、生半可な気持ちで相手を呪うようなことをしてはならないという戒めだ。 返して言えば、その覚悟のある人間にしてみれば、単なる等価交換に過ぎないともいえるだろう。